大阪府議会議員 かじき一彦 公明党

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教育常任委員会質疑

2018年12月18日

慰安婦問題に関する新聞記事

質問

 公明党府議団の加治木です。

 既に中川委員、原田委員から質問がございました慰安婦問題に関する新聞記事の件です。なるべく重ならないように質問させてもらいます。

 既に答弁等でもございましたが、この当該教諭に関する不適切な指導は平成26(2014)年度以降ないということであり、慰安婦の授業も平成28(2016)年度を最後に行っていないということでよろしいのですね。にもかかわらず、取材を受けた当日に慰安婦の授業を行っているかのような記事が掲載をされました。

 では、改めまして、この掲載された記事について、9月18日、3時間目の授業で行われたのはどこからどこまでの部分なのでしょうか。また、その他の内容は何をもとに記事にされているのでしょうか、お答えください。

答弁
小中学校課長

 吹田市教育委員会からの報告によりますと、当該の記事の内容全てを教育委員会、校長、また本人により確認したところ、掲載された記事のうち、9月18日の取材当日に行っていた授業は、新聞記事の冒頭に書かれている2年7組の教室で、3時間目、地理の学習として、「オリンピックが開催される東京」と題した手づくりのプリントを用いて、生徒がマル・バツで回答している授業の部分のみでございました。

 その他の内容は、別の日に取材を受けた本年の夏休み前のことや、当該教諭の著書にある過去の授業内容の一部分の抜粋、また新聞社が独自に作成した資料で構成されているとの報告でございました。

質問

 私が新聞記事のデータベースサービス「日経テレコン」というもので調べましたところ、4つの新聞社が掲載をしておりました。順番に、10月3日、東奧日報、10月8日、愛媛新聞、10月22日、西日本新聞、10月30日、熊本日日新聞の4つの新聞に掲載をされております。10月16日、教育常任委員会でこの記事が問題になったわけですが、それ以降も西日本新聞と熊本日日新聞の2つが掲載をしていたことになります。

 この記事、改めて私も読んでみたのですが、このそれぞれの記事の主見出し、東奧日報は、「自分が慰安婦にされたら 生徒に戦争を問い続ける」、愛媛新聞、「慰安婦にされたら問い続け あらがうには学ばなければ」、西日本新聞、「自分が慰安婦にされたら 生徒に問う 女性差別だから」、熊本日日新聞、「戦争を教える中学教師 慰安婦もし自分なら」、こういう見出しのもとに本文がついて、なおかつ、その記事の冒頭に、9月の18日の社会科の地理の授業の場面が描かれていたわけです。そうすると、多くの方は、この日の授業で慰安婦を取り上げたのではないかと読み取っても仕方がないと思いますし、実際、共同通信社が配信した記事に対して、この4つの新聞社がそれぞれ見出しをつけたわけです。その見出しがいずれも慰安婦という言葉を大見出しにとっているわけです。これはまさに、授業で慰安婦が取り扱われたと各新聞社が一読者としてそういうふうに判断をしたという証拠にもなるかと考えます。

 でありますならば、今、何度もありましたとおり、9月18日の授業では慰安婦のことを取り扱っていない、このことを踏まえますと、やはりこの記事そのものに、記事のつくりそのものに課題、問題があった、誤解を招く記事であったのではないかと私は感じたわけですが、学校設置者として、吹田市教育委員会はこの共同通信社に対してどのように対応をしてきたのでしょうか。

答弁
小中学校課長

 吹田市教育委員会からの報告では、地方で記事が掲載され、当該校に外部からの問い合わせが始まった10月9日に、学校長が、学校長の了解なく校内で取材をしたこと、記事が誤解を与える内容になっていることについて、当該記者に対しファクスで抗議文を送ったと聞いております。

 翌日10月10日には、学校長が電話でも同様の抗議を行ったところ、当該記者からは、教諭に取材の了解をもらっていること、記事の内容については読者が判断すべきことといった回答であったと聞いております。

 府教育庁といたしましては、吹田市教育委員会に対しまして、記者個人だけでなく、新聞社に記事の見解を求めることができるなど助言を行っているところでございます。

意見

 ありがとうございます。

 慰安婦問題に関してさまざまに立場があってお考えがあるのは、ここではあえて取り上げません。当然、書いた記者も何がしか意図があって取り上げたことだと思いますが、「憲法 マイストーリー」という共同通信が配信した恐らく全12回のシリーズ物です。人物を紹介する記事です。その人物がどういう人か、どういう活動をしてきたか、そこにスポットを当てる。その中で、当該教諭が過去に慰安婦を授業で取り上げ、また戦争に関して授業で多々取り上げてきたということと、この9月18日の場面にどこに必然性があるのかということだと思います。何もこの日の授業の場面を冒頭に持ってくる必要はないと思いますし、逆の言い方をしましたら、まさに目に見える場面を記事に書くことで確かに読者を引きつけるということはできますし、そういう効果があるのはこちらも重々わかっております。記事のつくり方として非常にいかがなものだったのかということを感じておりますので、その点に関しまして、筆者ではなくて、それを配信した共同通信社に対して、この記事で、実際に吹田市の中学校でどういう授業があったか、間違った印象を与えたということはきちんと見解を問うてもいいのではないかと考えております。

 以上で私の質問を終わります。ありがとうございます。