第5期
第4期
2023年
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2012年
2011年
第1期
12月20日(月) 晴れ
大阪市内のホテルで開かれた「令和3年度三重・奈良・大阪リニア中央新幹線建設促進大会」に出席しました(写真)。①名古屋―大阪間の早期着工で一日も早い全線開業を実現すること②同区間の環境影響評価に着手し、詳細なルートと駅位置を早期に確定すること③特に大阪のターミナル駅は利用者利便性やまちづくり等を考慮すること、などを盛り込んだ大会宣言を採択しました。
すでに東京・品川駅から名古屋駅の間は工事が始まっています。大阪のターミナル駅は既存の新幹線との乗換駅になる新大阪駅が想定されています。北陸新幹線も乗り入れてくる予定で、周辺のまちづくりも不可欠です。今後とも地域の皆さまのご意見をいただきながら、魅力あるまちになるように取り組んでいきます。
12月17日(金) 晴れ
新型コロナウイルスの感染拡大防止と日常生活などとの両立のため、ワクチン接種証明や陰性証明で行動制限を緩和する国の「ワクチン・検査パッケージ」を実施する補正予算案について代表質問をしました。(写真)
薬局などに登録してもらい、府内各中学校区に1カ所を目安に計450カ所程度の無料検査場を設置します。12歳以上の人は健康上の理由でワクチン未接種の場合に利用できます。
また、感染が拡大傾向にあると知事が認めれば、感染に不安を感じる無症状の人ならだれでも検査を受けられます。
無料検査に2つの仕組みがあるため、対象者や検査場の所在地などわかりやすい情報発信を府に求めました。府は「どのような場面で検査を無料で受けられるか、希望者が容易に判断できるよう、フローチャートを作成する」と答弁がありました。
この日の代表質問は府議会のホームページで見ることができます。アドレスはこちら。 http://www.gikai-chukei.jp/ 本会議の9月から選んでください。
12月9、10日(木、金) 晴れ
会派視察で長崎県五島市、長崎市を訪れました。
五島市福江島の沖合約5キロの場所に浮体式洋上風力発電の風車「はえんかぜ」が立っています(写真1)。出力は2メガワット、約1800-2000世帯分の電気を発電できます。
風車の全長は172メートル、うち76メートルほどが海面下にあり、3本の鎖と錨が海底に下がっていますが、固定はしていません。風を風車の後ろ側から受けて回る仕組みです(写真2)。
2013年10月、環境省の実証事業で設置、終了後は五島市と五島フローティングウィンドパワー合同会社が発電を続けています。
風速4.5~25メートルの時は風を受けて発電、強風時は風車を止めて風を受け流して破損を防ぎます。これまで風速50メートルの風にも耐えたそうです。
同規模の風車を計8台設置する計画があるそうです。発電量を増やせば売電先も増やす必要があります。九州本島への送電能力が課題だそうです。
実際に船で沖合の風車の近くまで行きました(写真3)。この日は無風だったのであいにく回っていませんでした。
続いて風力発電設備のメンテナンスを手掛ける㈲イー・ウインドに伺いました。(写真4)。1990年創業で五島市に本社を置く同社はもともと建設会社でしたが2008年、風力発電設備のメンテナンスに事業を一本化、現在の社名に変更しました。
現在は国内の陸上、洋上風力発電120基を長崎五島、北海道、ブラジルの3拠点で遠隔監視しています。特にブラジルは時差の関係で日本と昼夜が逆のため、プログラムの改修などは夜に作業を依頼すれば翌朝に返事が来るのが利点だそうです。
さらに(一社)海洋エネルギー漁業共生センターに伺いました(写真5)。「漁業・地域と共存共栄した海洋エネルギー」を目指し、洋上風力発電の設置に合わせて藻場や漁場の再生を図るのが狙いです。これまで全国50カ所以上で藻場・漁場の調査・再生に取り組み、五島でもひじきの再生を手掛けています。収穫は地元の人たちと一緒にしていました。(写真6)
2日目は長崎市に移動、まず軍艦島デジタル・ミュージアムへ行きました(写真7)。
2015年、明治日本の産業革命遺産の一つとして世界遺産に登録された端島炭坑があったのが「軍艦島」です。19世紀末から1974年の閉山まで約1600万トンの石炭を産出、ほとんどが八幡製鉄所(北九州市)に送られ、近代化に欠かせない製鉄を支えていました。
同ミュージアムは軍艦島の歴史を写真や映像などで紹介する目的で2015年9月に開館しました。「採炭現場への道」と題したプロジェクションマッピングはトロッコやエレベーターに乗って現場に向かう様子が再現されています。
また、1960年には6.3ヘクタール(甲子園球場の約1.6倍の広さ)に5300人が暮らしていたそうです。当時の住居の内部も再現されています。(写真8)
最後に長崎市立城山小学校に残る被爆した校舎を使った「平和祈念館」に伺いました(写真9)。爆心地から西に500メートル、最も近い位置にあった国民学校(当時)でした。鉄筋3階建て校舎は大きく壊れ、2、3階は全焼しました。当時学校にいた教職員31人中28人が死亡し、約1500人いた児童のうち1400人余りが亡くなったそうです。
祈念館の中には原爆の高熱で黒く炭化した木レンガが残り、被爆当時を再現した模型(写真10)、被爆したカラスザンショウ(写真11)などの展示があります。
また、学校敷地の一角に建つ「少年平和像」(写真12)は原爆ですべてを失った城山小学校の児童が平和を求めて立ち上がる姿をかたどったものです。子どもたちは登下校時に銅像に一礼をするのが習わしで、私たちもその姿を実際に見ることができました。被爆を実体験した人たちはいずれ誰もいなくなります。受け継ぎ、語り継ぐ存在となっていってほしいですね。