第5期
第4期
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
第3期
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
第2期
2014年
2013年
2012年
2011年
第1期
7月25、26日(木、金) 晴れ
会派の有志議員で今年の元日に発生した能登半島地震の被災地を視察しました。
初日は伊丹空港から羽田空港経由でのと里山空港(石川県輪島市)へ向かいました(写真1)。2003年7月に開港した県営空港が輪島市、珠洲市、能登町、穴水町といった被災地支援の拠点として機能しています。
被災翌日から救援物資を運ぶヘリが、1月10日には自衛隊機が離着陸するようになったとのことです。空港周辺の土地には全国から応援にきた自治体職員向けの宿舎が立ち並んでいます。(写真2、3、4)
同空港には防災道の駅や県の合同事務所があります。地震発生時は600人ほどが滞留したそうです。幹線道路は陥没したものの、脇道が意外と通行できたため、2日には地域の人たちが自主的に誘導をしていたところもあったそうです。地域の結束力の強さを感じました。
午後からは大阪府が対口支援をしている輪島市役所を訪れました(写真5、6)。地震発生前は2万4000人いた人口は現在、2万1000人程度。小中学生の400人が市外に転校、と人口減少が目立ちます。
建物の公費解体も思うようには進んでいないようです。県は来年10月には終わらせたい意向とのことですが、所有者の同意を得るのに手間取っているそうです。
朝市が有名な本町商店街周辺は280棟が焼損、16人が亡くなったとのことです(写真7、8)。地震で40-50センチの段差ができ、津波の恐れもあったことから鎮火したのは1月6日でした。現行の建築基準法を満たさない部分もあるため、市が土地を買い上げて区画整理をすることも検討しています。
輪島港も陸地が2メートルほど隆起したため、漁船の水揚げができない状態です(写真9、10)。浚渫工事が進んでおり、この秋の一部再開を目指しています。
後継者不足に悩む農業と違い、冬のカニやフグ漁でにぎわっていた漁業には後継者がいるそうです。しかし、漁業を再開しても水揚げの予測がつかない中でどれだけの人が戻ってくるか、不安材料が残ります。
当初は1万4000人が過ごしていた避難所は250人にまで減り、仮設住宅には2400人が入居、あと500人分できれば希望する人が入居できるとのことです。なるべく同じ地区の人が同じ場所にまとまって住めるようにするそうです。すでに入居している仮設住宅を案内してもらいました。(写真11)
とはいえ、住み慣れた我が家を失った高齢者には大きな負担なのはまちがいないでしょう。生活環境が大きく変わったため持病が悪化したり、避難所生活で感染症もはやったりしたといいます。
2日目は金沢市の北隣の内灘町を訪れました。震度は5弱-5強だったものの、私たちのお邪魔した西荒屋地区は激しい液状化に見舞われました。道路は波打ち(写真12、13)、小学校は建物と土地で大きなずれができています(写真14)。地盤が軟弱だったうえに、地震の揺れが長く続いたことが理由です。
国土地理院が公表している液状化危険度分布図を見ると、大阪府も淀川流域や大阪湾沿岸部で危険度の高い地域があります。簡単に対策できるものではありませんが、まずは自分の住む地域の危険度を知ってもらうことが大切と考えます。
今回の視察の途中で見つけた地産地消文化情報誌「能登」の第55号、「世界一美しい半島へ。」と題し、能登半島地震特集を組んでいました。(写真15)
巻頭の記事「私の提言-能登半島地震被害からの再創造のために-」で詩人・ビジョンアーキテクトの谷口江里也氏は「規模の大きさやその拡大や産業を重視する近代的価値観から見れば、能登半島はネガティヴな地域に見えるかもしれませんが、持続性や多様性や快適性や美や人間性や技芸や自然を重視すべき、これからの時代の地域社会のありようを考える際には、極めてポジティヴな条件を有する地域です」と指摘しています。そのうえで、穴水町を例に具体策も提言されていました。
私もこれまで何度となく大規模災害の被災地に足を運んできました。能登は半島という地理的な制約、数千年に一度と言われる地盤の隆起、住民の高齢化など悪条件がいくつも重なっているからこそ、新しい発想でよりよい地域をつくることが大切になってきます。これからも復興に向けた動きを注視していきます。
おまけの1枚。輪島市には有名な「白米千枚田(しろよねのせんまいだ)」があります。被害の少なかった120枚程度の田んぼを選んで作付けをしているそうです。(写真16)
7月22日(月) 晴れ
大阪市内のホテルで開かれた「北陸新幹線早期全線開業実現大阪大会」に出席しました。(写真)
ことし3月、金沢から福井県・敦賀まで延伸された北陸新幹線、新大阪駅までの区間(約140キロ)が未着工で取り残されています。北陸新幹線の整備効果は新大阪駅まで全線開通してこそ最大限に発揮できます。
おりしも、22日は東海道新幹線が浜松―名古屋間で運休し、東京―大阪間の往来が大混乱しました。こんな時、北陸新幹線が全通していれば、いくらかでも輸送需要を肩代わりができるのに、と痛感しました。
新大阪駅は北陸新幹線の駅位置の確定とまちづくりの促進が課題です。こちらも引き続き取り組んでいきます。
7月21日(日) 晴れ
将来、英語圏の大学に進学を希望する生徒向けに質の高い英語や、入学手続きなど必要な準備を教える「おおさかグローバル塾」の前期成果発表会に出席しました。(写真1)
50人の受講生が12のグループに分かれ、ヤングケアラーや若者のゲーム依存などの社会課題に対し、自分たちなりの解決策をまとめ、英語で発表してくれました。
受講生たちは27日から8月4日までの間、イギリス・リーズ大学で研修を受けます。そのときの発表の予行演習でもありました。一生懸命に発表する姿を見て応援したくなりました。
7月13日(土) くもり
今年で6回目となる「OSAKA多文化共生フォーラム」に出席しました。外国ルーツの中高生が一カ所に集まり、高校生が自分たちの経験を中学生に話してくれる、というものです。回を追うごとに参加者も増え、今回は中学生が約120人、高校生が約70人集まりました。
長吉高校(大阪市平野区)の生徒たち(写真1)がフィリピン、大阪わかば高校(大阪市生野区)の生徒たち(写真2)がネパールのダンスを披露してくれました。鮮やかな民族衣装を身にまとい、どちらも見事でした。
続いて門真なみはや高校(門真市)、東淀川高校(大阪市淀川区)に通う生徒が自らの経験を話してくれました。
門真なみはや高校の女子生徒は2019年に中国から来日、最初は中学1年生に編入されました。中学の3年間、ソフトテニスを続け、友人に励ましてもらったことで最後の大会は3位に入ることができた、と話してくれました。
過去の入試問題集を3回やったことで自信満々で試験を受け、合格できました。「失敗や心配が多くても困難は永遠にはない。頑張ったら明るい結果がついてくる」とエールを送ってくれました。
東淀川高校の女子生徒はパキスタンから1年半ほど前に来日しました。兄と弟が日本で勉強することになり、同行してきたそうですが、全く日本語がわからない状態からのスタートでした。
2年生になり、成績が上向いてきたので日本の大学に進学したいそうです。「あきらめずにチャレンジしてほしい。一生懸命に頑張ればいい結果が出る」と後輩たちを励ましてくれました。
この後は言葉などを基に小グループに分けての質問コーナーがありました(写真3)。初対面ということもあってかはじめはうまく話が進んでいなかったようですが、時間が経つにつれ、打ち解けてきたようでした。
第2部は高校ごとに分かれての進路相談でした。1部で中学生の相手をしていた高校生たちが自分の通う高校を説明する側に回っています。頼もしい限りでした。(写真4)
外国ルーツの生徒たちにロールモデルとなる先輩との交流の機会を作ってほしい、との私が2018年10月に府議会で取り上げた質問から始まったこのフォーラムです。今後も彼らの持つ可能性を見守っています。
7月8、9日(月、火) 晴れ
会派で佐賀県、福岡県に視察に行きました。
佐賀県は国内唯一の「コスメティック構想推進室」という部署が県庁内にあります。豊富な自然由来原料を生かし、アジアのコスメティック(化粧品)ビジネスの拠点を目指しています。
県や唐津市を拠点とする「ジャパン・コスメティックセンター」との化粧品科学についての共同研究講座が佐賀大学にあります。担当の徳留嘉寛教授は大手化粧品メーカーで研究開発に携わった経験があり、2021年に佐賀大に着任しました。
化粧品産業には研究開発だけでなく、商品の企画やマーケティング、ブランドづくりなど文系、理系問わず幅広い分野にまたがります。化粧品をつくるのは「文化やトレンドを創ること」。「幸せな人をより幸せにできる力」があると徳留教授は言います。佐賀県と佐賀大の挑戦に注目しています。(写真1)
続いて1991年5月に国の特別史跡に指定された吉野ヶ里歴史公園(吉野ヶ里町)を訪れました。弥生時代後期の環濠集落跡として日本最大規模のものです。国営公園の54ヘクタールと県立公園の63ヘクタールを合わせた117ヘクタールの区域が歴史公園として整備されます。
現地は大正時代から土器の破片などが見つかっていたそうですが、県が工業団地の候補地に選んだことで1986年、本格的な発掘調査が始まりました。
遺跡の特徴として紀元前4世紀から紀元3世紀ごろの約700年を通じて「小さなムラ」から「一つのクニ」へ発展する過程が明らかになった、という点が挙げられます。
公園内の各所で物見やぐら(写真2)や祭殿(写真3)、居住空間、墓地(写真4)などが再現されています。コロナ禍で落ち込んだ利用者数も2023年度は72万3000人と過去4番目を記録するまで回復しました。
土日祝日には勾玉や銅鐸、銅剣などの製作体験プログラムも用意されています。今回は駆け足の視察でしたので、ゆっくり時間をかけて訪れたいと感じました。
2日目はまず福岡市こども総合相談センター「えがお館」(同市中央区)に伺いました。(写真5)
2003年5月に開設、子どもに関する様々な問題に保健・福祉・教育の分野から総合的・専門的な相談支援に取り組んでいます。
福岡市でも不登校の小中学生数は年々増え続けているとのことです。市内の7区すべてに不登校の小中学生を受け入れる「教育支援センター」を設置したり、学習動画教材を提供したりしています。
不登校の原因に「勉強がわからない」と答えた小中学生が想像以上にいたため、学びなおしをできるようにしている、とのことです。
同じ建物内で児童虐待への対応や15-20歳の引きこもり支援も実施しています。今年度から7区すべてに「こども家庭センター」ができ、市民に身近な区役所で対応できる体制をつくりました。
施設内を案内してもらいました。虐待を受けた子どもを観察するための部屋には「箱庭療法」の用意がありました(写真6)。
午後は九州大学伊都キャンパス(福岡市西区)を訪れました。(写真7、8)
2005年から移転を始めた伊都キャンパスを九大は「水素キャンパス」と位置付けています。脱炭素社会を回せる燃料として水素が重要な役割を果たす、との視点から研究開発を進めています。
水素をつくるためのコストを下げることで乗用車やトラックなど輸送向けから発電、化学、製鉄への産業分野への利用拡大を見込んでいます。
国が2021年6月にまとめたグリーン成長戦略(改訂版)によれば、2050年には年間2000万トンの水素を利用する、としています。熱量で換算すると天然ガスの5000万トンに相当し、2023年の年間輸入量(6500万トン)の約4分の3にあたります。
九大が所有する燃料電池車にも乗せてもらいました。ガソリン車に比べ走行音が静かで揺れも少なかった気がします。(写真9)
研究するにしても、東京でできないことをする、というのは佐賀大、九大とも共通していると感じました。大阪も自らの「らしさ」「強味」を改めて再確認しないといけないですね。
おまけの1枚。博多湾に面して鎌倉時代の元寇を防ぐために作られた防塁が今も残っています(写真10)。